光になった友へ
突然の連絡
先日、突然の連絡がありました。
昔のママ友が亡くなったと。
10年以上会っていませんでしたが、
とても素敵な方で、よく覚えています。
貴重な子育て時代を一緒に過ごした
大切な大好きな仲間の一人です。
話した内容や、一緒に見たであろう景色。
とても愛らしい笑顔。どれも良き思い出として残っています。
お子様も可愛くて、
その子が哀しんでいると思うと、ただただ切なかった。
今は会えないけど、いつか必ず、
その子に会いたい。
今会えないのは私が弱いから。
生きて見守ることはできなかったママ友の分まで、
ずっと彼を応援したい。
インスタで見たその子は
すっかり大人になっていて、
別人で面影はほとんどなかった。
でもそれが救い。
あの時のままだったら、
あの時の無邪気で幼い彼のままだったら。
今の彼なら、大丈夫。
うんと辛いのには変わらないけど、
きっと大丈夫。
残していくのもつらい。
残されたほうもつらい。
でも残されたほうは生きていく、という
選択肢しか残されてはいない。
選択できるのは、
残りの人生をどう生きるのか。
宿命を生きる
残された者がどう生きるか。
どうやって生きるのかは自由に決められる。
ただただ時間をつぶしながら、
なんとなく生きていくこともできる時代。
私は有限の時間を無駄にせず生きたい。
自分の人生と真剣に向き合ったら、
ぼーっとしている時間はない。
そして、私の宿命をより意識して生きると決めた。
細かいことを言わない、迷わない、クヨクヨしない。
私の宿命の一つ。
宿命を生きるのは難しい。
「今世こそ宿命を生きる」
と決めて、また産まれてきたのだから。
前回、うまくできなかったという事。
楽な生き方をしているのなら、
今、宿命を生きているのか、
自分に問い合わせしてみてください。
私の親がまだ元気でいてくれていることへの
感謝の気持ちを伝えた。
「当たり前の事が当たり前に来る。それが
どんなに幸せなことか。それがすべて。」
という先生の言葉。
当たり前と思うものほど、
実は貴重なものである、という事。
泣いていて、ふと見たら、
飼い猫が
優しい目で私を見てた。
君も12歳。
最近は歩くのもやっとな君。
その日が来たら、いつかまたこうやって
私は泣いてしまうのだろう。
その時もまた、残されたものの使命として、
君との豊かな時間の思い出を胸に抱えながら
生きていこう。