手に入れるために我慢する
執着がない
今日で6月も終わりですね。
時が経つのは早いです。
今日も一日、丁寧に生きれたかなあ。
私はよくも悪くも執着がないと
思います。
もうちょっと執着を持つ、というか
自分の欲しいものは
手に入れる、という執着を持ちたいなあ。
そういう踏ん張る力というか、
欲しいなあ。
嫌なことを我慢する力は
割とあると思いますが、
そこではなく、
欲しいものを手にれるために
我慢する力が欲しいなあ。
1年生の時のエピソード
小学校一年生になったばかりのころ、
担任の先生が、
黒板に大きく「がまん」
と書きました。
「みんな、我慢が足りない」と、
そのあと、お話されたと思います。
その時すごく衝撃で、
我慢をしないといけないのか、、、、
とショックを受けた事が今でも忘れられません。
そのあと、
トイレを我慢しすぎて、
授業中に教室で
失敗してしまったこともあります。。。。
悲しい思い出の一つです。
必要な我慢と
不必要な我慢がある、
という事ですね。
必要な我慢
その時は何でも我慢をしないといけないのか、
と思い、なんという世界だと
思いました。
我慢にはあまり良い思い出はないですが、
今は必要な我慢かどうか
自分で見極められるので、
我慢が必要な時には
我慢をしてみようと思ってます。
基本的には我慢は好きではないのには
変わりはないのですが、
欲しいものを手に入れるための
我慢ならしてもいいいかな、
と思えているこの頃です。
少しは成長したかな。